パチンコスロット攻略&歴史、ルール用語解説
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押忍 番町!

押忍!番長チャンスゾーン攻略

押忍!番長のもっとも基本となる攻略にチャンスゾーンがあります。
1〜128G,250〜363G,550〜663G,
850〜963G,1025〜1280G
(天井)

押忍!番長朝イチ攻略
押忍!番長の設定変更がおこなわれると128Gまでに設定1〜3で16.78%、4〜6で19.85%のボーナス放出が期待できる。

押忍!番長ボーナス攻略
押忍!番長のリプレイハズシ逆押し適当うち(簡単ですね)!

押忍!番長ボーナス攻略2
1ゲーム連チャン誘発打法
1ゲーム連チャンはBIG中の子役成立時に抽選されている。三回目のJACINを遅らせることによって押忍!番長1ゲーム連の確率はあがる。
一回のBIGでは一つの1ゲーム連しかゲットできない。つまり、1ゲーム条件を満たしているならば、無理にパンクのリスクをおかす必要はない。轟BIG中にはさまざまな1ゲーム
連確定演出がある。これらを組み合わせることによって無駄なく1ゲーム連チャン確率を上げる事ができる。
押忍!番長攻略手順1
轟BIGを選択すること!
押忍!番長攻略手順2
子役ナビが出ないときは必ず
をねらう!
一ゲーム確定は
ボーナス中に7が揃えば確定
ナビハズレで確定
パンダに勝つ
チェリーorボタンのダブルナビでチェリーで確定
ボタンor弁当のダブルナビでボタンで確定

押忍!番長攻略手順3
三回目の子役ゲーム残り8Gまでに1ゲーム連が確定していればJACIN優先。確定していなければ、残り
5Gまで引っ張り連チャン確率を上げよう!

この手順を行うことによって1ゲーム連の確率を上げることができ、さらにBIG獲得枚数も無駄にせずにすみますので、是非1実践して下さい!
またボタンとボタンのダブルナビは一ゲーム連確定すると発生確率が高くなりますのでアツいですよ!

俺の空

俺の空モード攻略情報
俺の空はモードの移行によって波を作り出すストック機能付のパチスロ台である。モードは通常、高確率(俺タイム)、俺モード、スーパー俺モードの4種類のモードを採用している。ボーナス放出はリプレイの4連続と抽選当選の2つだ!

高確率(俺タイム)・・・15ゲームの激アツゾーンで、主人公の一平がゴルフの玉で風船を割る演出が発生する。この間はリプレイの確率が大幅に上がるため、4連続リプレイ=ボーナスチャンスとなる。リプレイが4連続しなくとも、15ゲームの間に7回リプレイが成立してもボーナスが放出!また、俺タイムには連チャン性があるため15ゲームを過ぎても諦めないで!巨人の星の特訓に似ている!


俺モード
・・・俺モードはボーナス後に移行する可能性のある連チャンモード!連チャンモードのループに期待しよう!

スーパー俺モード・・・俺モードと同じく連チャンモードであるが、突入契機はリプレイ5連続時のみとなっている。もしスーパー俺モードに突入すれば約80%の確率でループするというプレミアモードとなっている。
パチンコ用語・パチスロ用語

1、命釘

スタートチャッカーのすぐ上にある2本のクギ。これは素人でもわかる最重要ポイントです。2本が上に上がり、横に広がっている事左右対象でなくても、左側の釘が右よりも広がっていればいいでしょう。また店によっては、クギが打ち込まれている間隔が違うのもあります。開いているのに、根本の間隔が狭い台もあります。

また、ヘソの下の左右の2本の釘が閉まっていると目の錯覚でヘソが開いているように見えてしまいます。これを一般に騙し釘といいます。

2、風車

スタートの左、画面の左下あたりにある、玉の進路や速度を変化させる回転するクギ。これも最重要。風車は左、または左下を向いているほうが命釘付近に玉が集まりやすくなります。

左右への振り分け率の標準はメーカーによって設計上きちんと決まっているそうです。一般的に3対7の割合でヘソ方向へ玉が流れていくのが標準です。

3、ジャンプ釘

命釘の両サイドにある、2本の釘。左にあるジャンプはかなり方重要です。絶対ダメなのは下げ釘になってるもの。この釘が下へ向いていると玉がヘソ下へ真っ逆様に落ちてしまうのです。

ジャンプ釘は上を向いている方が玉が命釘に入る確率が高くそのまま落ちずに跳ね返り、スタートの上を通り過ぎる機会が増えます。液晶画面のすぐ下、スタートの上部にある「ステージ」に、玉が乗る確率も上がります。

4、ワープゾーン導入釘

画面の下、スタートの上のステージの所まで玉を導く、画面上方にあるワープゾーン。ステージ入賞率の高い台の場合は、ワープがポイントになることが多いのです。

デジタル上の釘が上に左右に開いていることまた液晶画面の左側に入り口がある場合、その左側の1本のクギの向きは、すごく重要です。絶対に左側を向いている台を選びましょう。

5、風車上の釘

風車のすぐ上の1本のクギ。左側の風車を見るのは当然なのですが、そこだけを見るのは誰でもやっていること。周りの人と差をつけるのであれば、是非見ておきたいのが、その風車のすぐ上の1本のクギ。

風車が左を向いていても、このクギが上を向いていたら、玉が左に流れる確率が少々高くなってしまいます。風車の左側に玉を通さないためにも、このクギが下を向いている台を選びましょう。

6、道釘

命釘まで玉を運ぶ働きをする。一般的な台は、2ヶ所ほど玉が通る隙間が空いているかと思います。この隙間を通ると、当然スタートの方まで届かず、玉は無情にも下に流れてしまいます。2ヶ所とも閉じている台を選びましょう。

最近のデジタル液晶の巨大化により、ステージからの入賞が大きく影響する機種が多くなりましたが、特にワープが無い場合はこの道釘の調整が劇的に重要になる場合があります。道釘が上げ釘調整になっていないと、玉がステージに跳ね上がらないので要注意です。

パチンコの歴史・パチスロの歴史
1920 米国からバカテル渡来。日本ではコリントゲーム(寝かせ型)の名前で普及。
1924 宝塚新温泉にヨーロッパのゲームマシン(ウォールマシーンあるいは
マシーン・ア・スー=立ち型)登場。
1925 ヨーロッパの機械を模造した「玉遊菓子自動販売機」が東京のデパート屋上などに。
子供のゲームとして人気に。大阪で立体コリントゲームが普及、
名古屋・金沢へ(パチンコという名称が生まれたのは金沢といわれている)。
1930 愛知県警察部が名古屋で自動遊技機の営業許可(パチンコ店第1号)。
1935 メダル式パチンコ機登場、次いで単発機(スチールボール機)も。
1936 高知で大流行(半年間で35店開店)。
1937 戦時特別措置令で新規営業を禁止。
1942 戦時対策によりパチンコは全面禁止。
1946 名古屋でパチンコ機の製造再開。
1948 風俗営業取締法施行。パチンコは同法に基づく都道府県条例で許可営業に。
貸玉料金1個1円と決まる
(競馬法・自転車競技法が相次いで制定され、日本のギャンブル元年)。
1949 画期的な正村ゲージ登場(現代パチンコの基本型として現在も広く使用され、
パチンコが産業として発展する礎に)。
1950 オール15、オール20型の開発。
貸玉料金1個2円へ。景品上限額100円。

1951

全国遊技業組合連合会(全遊連)発足。
1952 オール20連発式(機関銃式・循環式)の開発。
1953 第1期黄金時代の到来(全国に38,764店)。
循環式1号機の開発(1分間に160?180発の玉を自動発射)。

1954

風俗営業取締法の一部改正で、3号営業の追加規定として法律に初めて
「ぱちんこ」の名称が登場。
連発式パチンコ機の禁止令。全国的に大打撃を破り、
業界不況が到来(全国の店数半減)。
1956 第1回業界再結成へ(全国に8,839店)。
1957 竹屋式無人機で1尺島が登場(島内の従業員が店へ。補給装置の原点)。
役物コミック機登場。
1959 風俗営業取締法の一部改正による風俗営業等取締法施行。「ぱちんこ」は7号営業に
1960 景品交換愛知法式(3号方式)誕生。
画期的な役物のチューリップ登場。日本遊技機工業協同組合発足。
全国遊技商業組合連合会(全商連)発足。
第2期黄金時代の到来。
1961 景品交換大阪方式(4店方式)誕生。
過当競争の激化。
景品上限額300円に。
1962 盤面のファッション化に拍車。
1963 日本遊技機工業協同組合を日本遊技機工業組合(日工組)に改組。
分離式(ユニパック)発表。(全国の店舗数が1万店を突破し、10,066店に回復)
1964 風俗営業等取締法の一部改正で、18歳未満のパチンコ店への入場禁止。
1965 公安委認定のオリンピアマシン(スロットマシン)登場。
1966 パチンコ業界不況。機械基準緩和により、36種の役物使用を許可。
チューリップ全盛。
全遊連の法人組織、全国遊技業協同組合連合会(全遊協)発足。
1967 役物ブーム到来。
1968 駐車場付きホールの出現。
設置台数自主規制(最高500台)。
1969 遊技機の新基準決まる
(連発式復活、1.発射速度を1分間100発以内、2.出玉1回15個以内)。
景品上限額500円に。
1970 第2期業界再結成へ。(全国9,494店に減少)
1971 業界初のSP機(脱着分離方式)開発。
1回の遊技料金50円から100円へ。(自動玉貸機100円使用許可)
パチンコ店に計数管理コンピューター導入。
1972 貸玉料金1個3円へ。22年ぶりの値上げ。
郊外パチンコ店の出現。
アレンジボール機認可。
1973 電動式パチンコ機認可。
大型店に台ごとの出玉率も算出できるミニコンピューター導入。
景品上限額1,000円に。
アサヒディード支援団体「サポートハウス」ホームページ
1974 電動役物登場。
1977 景品上限額1,500円に。パチスロの原形が大阪で認可。
1978 貸玉料金1個4円以内へ。
特電機登場。コンピューターによる集中管理方式採用。
売上げ推計1兆6,000億円(全国10,418店、設置台数200万台)。
1979 全遊協が11月14日を「パチンコの日」とする。
1980 景品上限額2,500円に。パチンコ型スロットマシン(パチスロ)が全国各地に登場。
日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)発足。
ドラム式フィーバー機登場。(爆発的ブームとなる)
第3期黄金時代の到来。
1981 IC利用の役物が増加、入賞口の仕掛け飾りや盤面に
デジタル装置を導入した超特電機が爆発的ヒット。
総売上げ推計3兆円を突破。
1982 フィーバータイプ機の30%自主規制。
1983 ホールの近代化・大型化・デラックス化が目立つ。
新店ラッシュでパチンコ店急増(全国で12,752店、設置台数269万9,016台)。
1984 超特電機に特別措置(10カウント規制)。
(既設の超特電機は15秒以内に改造)
1985 新風営法として「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風適法)施行。
パチスロが回胴式遊技機として風適法に登場。
遊技機の設定及び型式の検定等に関する規則(遊技機規則)が施行され、
保通協による型式試験開始。
最高出玉1,300個、景品上限額3,000円に。
1986 日電協による回胴式遊技機の不正防止のため、基盤封印作業実地。
「日本パチンコ文化賞」(全遊協主催)を制定。
「パチンコファン感謝デー」(全遊協主催)を実施。
1988 日本レジャーカードシステム設立。
平和が株式を店頭公開。
1989 社団法人日本遊技関連事業協会(日遊協)発足。
全日本遊技業組合連合会(全日遊連)発足。
全商連の法人組織、全国遊技機商業協同組合連合(全商協)発足。
日本ゲームカード設立。
1990 全遊協、全遊連解散。
PCシステム導入開始、全国で46店。
出玉2,400個、景品上限額1万円に。
大当たりの回数を10R→16Rに増やすなどの遊技機規則改正。
第4期黄金時代の到来(会員制度、女性客の誘致など)。
ジャパンネットワークシステム(J-NET)設立。カタログ景品、貯玉再プレイなどの発足へ。
1991 三井が株式を店頭公開。
1992 全日遊連の法人組織、全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)発足。
CR機登場。
旧用件機(連チャン機)自主規制。
1994 遊技機販売登録業者・取扱主任者制度実施。
回胴識遊技機販売商業会(回胴遊商)発足。
警察庁・生活安全研究会が「ぱちんこ営業の在り方について」報告、
換金の条件つき公認を提言。
自民党レジャー産業研究会の発足。
総売上げ30兆円を上回る(総務庁調査)。
1995 PC導入1万店突破(大部分がCR機による部分導入)。
遊技機の諸元、取り扱いを厳格化、ホール設置後の検定取消しなど、
遊技機規制の根幹にかかわる改正。
日本アドバンストカード設立。
日本アミューズメント・システム(ナスカ)設立。
1996 適度な射幸性を考える日遊協検討委報告書。
日遊協、全日遊連、日工組、日電協の業界4団体による自主規制、
射幸性の高いパチンコ機70万5,000台余を撤去へ。
1997 メーカー2社、一部上場を果たす。
遊技機リサイクルの動き固まる。
CR新要件機の登場。
1998 全日遊連初の選挙で、浅野元哲理事長が選出される
パーラー軒数の減少傾向が加速化、1万7773軒に
1999 パチスロ市場100万台突破、一方で不正機の問題が浮上
2000 全日遊連理事長に山田茂則氏。ファンが激減して2千万人切る
2001 パチスロ130万台突破、AT機が全盛
2002 パチンコ新内規で最少賞球数「4」、確変プラス時短等が認められる
日電協自主規制撤去対象リスト発表
2002年パチンコ・パチスロ産業フェア開催される
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